こんにちは。フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。
以前の投稿で、高校の部活動時代に恐怖心から何もできなくなったことについて触れました。
今回は「見る」というよりも「見つめる」について、私の中に兆す「恐怖心」を見つめることについて、書いてみようと思います。
ここ最近、苦手意識を克服するために運転の練習をしています。
この苦手意識の根本にあるのもまた恐怖心です。20代半ばに通った個人教習で、いきなり飛び出してきた自転車への対応が一瞬遅れ、教官が急ブレーキを踏んで大事には至らずに済んだことがありました。そのときに「鉄の塊に乗ってるんだぞ。簡単に人を殺してしまうんだ。そのつもりで運転しろ」と怒鳴られました。
その後二度目の挑戦で免許を取得。
当時アシスタントとして付いていたフォトグラファーの車を駐車場から出そうと意気揚々と乗り込んだものの、いきなりハンドルを右に切ったせいで仕切りの柵にタイヤをぶつけました。大きく右に切っていたのでタイヤが先に出ている形になり、車体そのものにはダメージはありませんでしたが、あんなに路上訓練をしたというのになんでもない駐車場でこのような事態になった、ああ私は運転に向いていないと恐怖心がわき起こり、それから10年以上運転をすることから遠ざかりました。
何がそんなに恐怖なのだろう。
教官の言う「鉄の塊」を操作しきれるのだろうか。スピードに乗ったときにそのスピードをコントロールしきれるのだろうか。いざというときに素早い判断ができるのだろうか。
反対の車線に突っ込んでしまわないだろうか。車線変更の際によその車にぶつかってしまうのではないか。隣り車線を走る車に寄っていってしまわないだろうか。
ハンドルを握っていて起きるかもしれない事象に、自分が冷静に対応できる気が全くしない・・・それが恐怖心の根源なんだと思います。
運転ができないということで外された現場もありました。恐怖心を乗り越えるのは無理だし乗り越えようとも思わないし、仕方ないやとやり過ごしてきました。
それが変化したのは数年前の奄美大島行きです。出先で運転できたら行動範囲が広がる・・・言わずもがなのことです。ようやく、恐怖心よりも未知の場所に向かう好奇心の方が上回ってきました。行きたいところがとにかくたくさんあるのです。
白洲正子さんや梨木香歩さんの作品を読んだら琵琶湖周辺を巡りたくなった。
民藝に興味を持ったら全国に散らばる手仕事の現場を訪ねたくなった。
平家物語にちなんだ場所や歴史小説の舞台を訪れて写真を撮ってみたい。
新型コロナウィルス蔓延の影響で仕事のペースが落ちている今、いかようにも時間が作れる。そんな状況の中で苦手意識が克服できそうな風が自分の中に吹いているのを感じています。
日常的に運転をしている人からすれば何を大袈裟な・・・と笑ってしまうことでしょう。ですが、この風、この機運は私にとって大きな変化です。友人に助手席に乗ってもらっての三浦海岸行き。その後シェアカーに登録して、友人宅に行くのを目的にした運転練習を始めました。
恐怖心はなくなりません。20代のあの日教官に言われたことはずっと意識しています。ですが、運転を重ね慣れることで恐怖心を抑制できる、こわばった身体が解放されることに気付きました。
オリンピックも手伝って、平均台で何度もできたことが突如恐怖心に見舞われてできなくなった高校2年の夏が思い出されました。
あのときの私に必要だったのは、過去にはできたという事実を信じることだった。恐怖心を抱えながら慣れることだった。
恐怖心に支配され縮こまってしまったあの夏が全く違う形ではありますが今年の夏解き放てた気がしています。30年越しの解放。
夜に運転練習をしていて、一方通行の道に突っ込んでしまったことがありました。
こちらに向かってきた車はさぞや驚いたことでしょう。慌てず周囲を確認しながらバックをし、元の道に戻ることができました。冷静に対処できるじゃないの。
山道のくねくね一本道で、あまりに減速していて後続車にクラクションを鳴らされました。速度を上げながらも道が広がったところで脇に寄せパーキングにし、追い越してもらいました。冷静に対処できるじゃないの。
運転が得意にならなくてもいい。冷静に判断し的確な行動に移せればいい。
運転にかぎらない。
思えば、撮影という現場でこれまでそうしてきたんです。カメラが動かなくなった。ストロボの警告音が鳴り止まない。必要なレンズを忘れた。データが消えた。インタビューが長引いて撮影時間が超短い・・・いろいろ起きます。けれど、心の中は焦りでいっぱいになりながらも冷静に対処してきたんです。
「落ち着いたら一人前」・・・落語の中によく出てくる言葉です。
よし、落ち着こう。