皆さん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと行動力で「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。
昨年は、10月に『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』『農業フロンティア 越境するネクストファーマーズ』という二冊の書籍を出版した後、燃え尽き症候群になってしまい、しばらくお休みさせていただきました。もうすっかり元気になったので、また僕の旅のコラムを楽しんでいただければ嬉しいです。そうそう、今回から月に1回の更新になるので、これまでよりボリュームアップしてお届けしますね!
海外メディアから「日本の偉大なレジェンド」と評される男
埼玉県の秩父に、世界から注目を集めるウイスキーメーカーがあることをご存じですか? 日本のウイスキーといえばサントリーやニッカが有名ですが、今回、僕が紹介するのはベンチャーウイスキー。今もウイスキーづくりのすべての工程に携わっている創業者、肥土伊知郎(あくといちろう)さんの名前を取り、「イチローズモルト」の名前で知られています。
イチローズモルトは、イギリスで開催される世界最高峰の品評会「ワールド・ウイスキー・アワード」で2017年から5年連続の最高賞を獲得。肥土さんは2019年、イギリスのスピリッツ専門雑誌「ドリンクス・インターナショナル」が毎年主催している世界的な蒸留酒品評会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」で、世界で最も活躍した蒸留所関係者として「マスター・ブレンダー・オブ・ザ・イヤー」に選出されています。ベンチャーウイスキーは、名実ともに世界トップクラスのウイスキーメーカーなのです。
イチローズモルトの人気は天井知らずで、2006年から毎年数本ずつ、6000円台から3万円台で世に送り出してきた、瓶のラベルにトランプの図柄が描かれた「カードシリーズ54本セット」は、2015年に開催されたオークションで約5400万円で落札されました。それだけでも驚きですが、2019年には同じものが約1億円で落札されたのです。単純計算で1本180万円超の評価がついたことになります。
ちなみに、ベンチャーウイスキーは2004年の創業で、自社の蒸留所ができたのは2007年。世界に伝統を誇るメーカーがあるなかで、なぜウイスキー業界ではまだ歴史の浅いベンチャーウイスキーがここまで高く評価されているのでしょうか? そこには、いまや海外メディアに「日本のウイスキー界のロックスター」「日本の偉大なレジェンド」「世界のウイスキー業界で尊敬を集める男」と称賛される肥土さんの飽くなきこだわりがあるのです。
創業までの紆余曲折
肥土さんのルーツは、1625年創業の造り酒屋「肥土酒造本家」にあります。祖父はこれを発展させ、羽生蒸溜所(埼玉県)でウイスキー「ゴールデンホース」などを作っていました。
肥土さんは東京農業大学醸造科学科を卒業後、サントリーで洋酒の販促企画を2年、営業を5年経験。28歳の時、父親から「経営状態が良くない。手伝ってほしい」と頼まれ、家業に戻りました。しかし2000年、業績悪化により民事再生法を申請。同年、肥土さんは35歳で父親から経営を引き継ぎました。
肥土さんは経営再建に奔走しましたが、V字回復には至らず2004年、他社に事業を譲渡することに。その際、譲渡先の企業から指示されたのが、「場所を取る、時間もかかる、売れてない」ウイスキー事業の撤退です。羽生蒸留所の撤去と、羽生蒸溜所で約20年仕込み続けた400樽のウイスキーの原酒の廃棄を命じられた瞬間、肥土さんは独立を決意したと振り返ります。
「それはとてもじゃないけど受け入れられないなと。まさに二十歳目前の子どもたちを見捨てるようなまねはできません。このウイスキーを世に出すことをこれからの自分の仕事にしようと決めました」
これが、2004年9月にベンチャーウイスキーを設立した理由です。この後、知り合いの酒造会社に400樽を預かってもらい、翌年5月には第一弾のイチローズモルトをリリースしました。
それから2年後の2007年、故郷の秩父に念願の自社蒸留所を建設しました。これも、肥土さんが奔走して、土地は埼玉県がリースに出していた工業団地を借り、建物は親戚の会社が融資を受けて建設して「ベンチャーウイスキー」に有料で貸し、そして製造設備は、「ベンチャーウイスキー」が融資を受けて購入するという形でなんとかオープンにこぎつけたそうです。
伝統とオリジナリティ
肥土さんのウイスキーづくりは、「現代の蒸溜所が効率を求めて省略しているようなことも復元したい」という想いから、さまざまな工夫が散りばめられています。
まず、ウイスキーに使う大麦は、床の上で発芽させる昔ながらの方法「フロアモルティング」を採用。収穫した大麦を十数時間ほど水に浸した後、水を抜いて数時間寝かせます。また水を張って数時間置き、水を抜くという作業を何度か繰り返した後、発芽させるために床に大麦を広げます。発芽熱によって内側の方が早く発芽するのですが、それを避けるために定期的に天地返しをして、なるべく均一に発芽を促します。
発芽に要する日数は、冬は7日間、夏は5日間程度で、この作業を24時間体制で続けなくてはいけません。通常、こういった作業を行うのは麦芽を世界中の蒸留所に販売している海外のモルトスター(製麦業者)なのですが、今はコンピュータ制御のマシンで一連の自動化しているところがほとんど。そのため、肥土さんとスタッフは2008年からほぼ毎年、モルトスターのところに通い、フロアモルティングを手伝っています。
また、原酒を詰めた樽を保管する倉庫の床はむき出しの地面で、空調管理設備もなし。それは、夏の最高気温35度、冬の最低気温マイナス10度、昼夜の平均寒暖差が12度という「秩父蒸溜所らしい個性」を求めてのことです。
伝統的な技法のなかに、自分たちのオリジナリティを加えることにも躊躇しません。例えば、大麦のしぼり汁を発酵させる発酵槽。最近ではステンレス製が主流ですが、あえて手入れに手間暇を要する木製の発酵槽を導入しました。しかも、木製の発酵槽の場合、米松材を使用するのが一般的ですが、世界で唯一、ミズナラを使用しています。木の発酵槽は内側に乳酸菌が住み着くため、風味にも良い影響を与えるといわれます。あえてミズナラにしたのは米松とは異なる効果を期待したからです。
近年の最も野心的な取り組みは、世界のウイスキーメーカーは基本的にモルトスターから輸入した原料を使っているのですが、肥土さんは秩父産の大麦に目を付けました。地元のそば農家から「裏作で大麦を作れるんだけどどう?」と提案されて始まった取り組みで、想像以上に良い大麦ができたので、自分たちでフロアモルティングをして製麦。2015年、初めて地元・秩父の大麦100%のウイスキーを仕込みました。今では地元農家の協力を得て大麦を増産しています。
毎年2月に開催される秩父ウイスキー祭
肥土さんの「おいしいウイスキー」を求める道に、終わりはありません。2019年に稼働した第2蒸溜所では、アルコール分を気化させる工程でガスバーナーを使って蒸留器を炙る「直接加熱」を導入しました。世界的には蒸気などを使って間接的に加熱する方式が主流ですが、これもスコットランドの伝統に倣ったそうです。
「直火の蒸留器は非常に高価で、火力のコントロールも難しいんです。でも、強火で加熱すると、クックドフレーバと言って、もろみがちょっと焦げたような感じの成分の変化がみられるとされています。それによって蒸留液の酒質が変わるという人もいれば、ぜんぜん変わらないっていう人もいて(笑)。自分たちでやってみなければ答えはわかりませんが、私は何かしら変化があると思っています」。
こういった細部の追求が、世界のウイスキーファンを熱狂させる味を生み出しているのです。
ベンチャーウイスキーの蒸留所は、秩父駅から車で20分ほどの山間にあり、一般の見学は受け付けていません。ウイスキーの販売もしていないので、訪問しても外観を眺めることしかできません。それでもこのコラムで紹介したのは、ちゃんと理由があります。
秩父では毎年2月、秩父ウイスキー祭が開催されます。秩父神社や秩父駅地場産センターを会場に、国内外ウイスキーの試飲会やセミナーなどが行われます。例年、前売りチケットだけで完売してしまう大人気イベントです。
このイベントで、イチローズモルトを含め、国内外のメーカーのウイスキーを試飲することができるのです! 残念ながら今年はコロナ禍のためオンライン開催になるようですが、肥土さんもセミナーに登壇するようです。普段は蒸留所でウイスキーづくりに専念している肥土さんのお話を聞ける機会は貴重なので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
コロナ禍が落ち着けば、来年の秩父ウイスキー祭はリアルで開催されると思います。2023年は、ジャパニーズウイスキー100周年。きっと盛大な会になるでしょう。もちろん、お酒が大好きな僕は今からワクワクしています。
稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。