皆さん、こんにちは! 常識に縛られず、驚くような発想と行動力で世間をアッと言わせる「規格外の稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。
僕は「日本一」とか「日本唯一」という言葉に妙に弱くて、特に食べ物になると、炊きあがったばかりの白飯の湯気のように、「食べてみたい!」という気持ちが湧き上がってきます。昨春、その勢いで向かったのが、青森県上北郡東北町。
この町には、地元で「宝湖」と呼ばれている小川原湖があります。なぜ、宝なのか。しじみ、なまず、ふな、鯉、川カレイ、天然うなぎや「日本の上海蟹」とも言われるモクズガニなど30種類以上の魚介類が生息していて、白魚(シラウオ)とワカサギは日本一の漁獲量を誇るのです。なかでも白魚の水揚げ量は年間700トン、全国の漁獲量の70%を占めています。
▼白魚と素魚は似て非なる魚
このなかで僕が注目したのは、白魚です。え、なんで? と思う方も多いでしょう。確かに、日本のあちこちで「白魚」が売られていて、決して珍しくはありません。でも、恐らく99%の人が勘違いしています。海辺の町でよく見る「白魚」は、正確には「素魚」(シロウオ)。見た目も名前もよく似ているけど、素魚はハゼ科、白魚はサケ科で、まったく別の魚なんです。
僕のお目当ての白魚は、かつて隅田川でも採れたそうで、徳川家康に献上されていた高級魚。網にかかって水揚げされるとすぐに死んでしまうほど繊細ということもあって、700トンも獲れるのに、市場にはほとんど出回らず、一部の料亭などで提供されるのみ。一般の人はほとんど口にできない幻の魚なんです。
海辺の町の飲食店で、しばしば「白魚の踊り食い」というメニューを見ますが、これは「素魚の踊り食い」の間違い。「白魚の踊り食い」ができるのは日本で唯一、青森県の東北町にある「居酒屋レストラン えびぞう」だけなのです。
僕は特に踊り食いが好きなわけでなく、踊り食いをしたこともありませんでした。でも、「幻の高級魚を踊り食いする」という希少すぎる体験に惹かれて、「えびぞう」を訪ねました。
ところで、なぜ「えびぞう」でだけ白魚の踊り食いができるのか。その裏には、ご主人の蛯名正直さんの知られざる奮闘があります。
▼白魚を長生きさせる研究に1500万円
東北町出身の蛯名さんは、横浜の老舗すき焼き店で料理人として働き、料理長まで務めた後の1980年頃、故郷に戻って「居酒屋レストラン えびぞう」を開きました。それから数年が経ち、店を軌道に乗せた蛯名さんは「町の名物を作ろう」と思い立ち、目をつけたのが白魚です。地元の高校に通っていた時、生物部の部長を務めていて小川原湖の生態調査もしたことがあった蛯名さんは、素魚の踊り食いがあるんだから、白魚の踊り食いを名物にしようと考えたのです。
ここからが、苦難の道のりでした。1997年、周囲の料理人と漁師に声をかけ、役場から助成金をもらって「上北町活しらうお販売研究会」を設立。非常に繊細な白魚を長く生かしておくための研究が始まりました。
白魚の大半は、湖に仕掛けた網を揚げた瞬間に圧迫されて死んでしまいます。そのため、なるべく圧力を加えない採り方を考えました。通常の漁では円形にまいた網をぎゅっと絞って水揚げするのですが、漁師の協力を得て網を開いた状態で持ち上げ、そこにいる白魚をすくうよう方法を考案しました。
すくいとった後も、工夫を凝らしました。湖水を入れた桶に入れておいても、2、3時間で死んでしまいます。桶にエアレーションを入れて酸素を送り込んでも、結果は変わりません。そこで蛯名さんは、湖水の塩分濃度に着目しました。
小川原湖は汽水湖なので、海水の塩分が含まれています。どの塩分濃度なら長く生き延びるのか、細かく塩分濃度を分けた桶をいくつも用意し、白魚を入れて生存時間を分析したのです。そうして試行錯誤を重ねた結果、小川原湖の水に近い0.4%から0.8%の塩分濃度で水温8度以下など、白魚が生存できる条件を特定することに成功しました。
「最初の頃、漁師からは難しい魚だからできるわけないと言われていたんだ。昔、東京の会社が挑戦したけど、さじを投げたって。でも私は、素魚は踊り食いできるんだから、白魚も大丈夫だろうって軽く考えてた。結局、何年もかかっちゃったよ(苦笑)」
2001年11月から「活魚」として白魚を提供できるようになり、不可能を可能にしたニュースとして当時、大いに話題になったそうです。現在では、最長でおよそ140日間、水槽で生存させられるようになりました。この技術革新は、蛯名さんの尽力があってこそなのです。
「かれこれ、白魚には1500万円ぐらいつぎ込んだかな。ぜんぜん儲かんないけど、私は猪突猛進型だから(笑)。普通の人にはできない経験をしてるしね!」
▼踊り食いをして浮かんだ言葉は?
さて、蛯名さんが心血注いで確立した白魚の踊り食いはどうだったのかを記しましょう。
白魚の漁期は9月から3月の秋漁と、4月から6月の春漁で、僕が訪ねたのは春漁の解禁日。取材当日、蛯名さんが漁師さんを通して白魚を仕入れてくれたのですが、蛯名さんが出してくれたグラス(ピカピカ光る!)の底にはすでに数匹がぐったりと体を横たえていました。漁師から蛯名さんのもとに運ばれ、水槽に放されている間に亡くなったそうです。なんて繊細!
生き残ったのは、わずか2匹。そのうちの1匹を箸でつまみ上げ、一気に口のなかへ。舌の上でピチピチと跳ね回る白魚。This is 踊り食い! という感触を確かめた後、グッと歯をかみ合わせました。すると、プチッという歯ごたえとともに、淡い塩味と爽やかな甘みが広がります。初めて体験する、幻の魚の踊り食い。僕の頭に浮かんだ言葉は「風流」でした。続いて2匹目も飲み込んで、合掌。食べ終わるまでに1、2分しかかかかりませんでしたが、生き物を頂くということを実感した貴重な時間でした。
この後は、刺身、天ぷら、卵とじの白魚尽くし。口当たりが軽いから、僕の大容量のお腹のなかにスルスルと吸い込まれていきます。これらの料理はきっと江戸時代にもあったでしょう。目をつむり、徳川家康が江戸城でもぐもぐと白魚を味わっている姿を想像しながら食べると、つかの間の殿様気分を味わえました。
稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。