皆さん、こんにちは! 常識に縛られず、驚くような発想と行動力で世間をアッと言わせる「規格外の稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。
読者の皆さんは、どうやって旅先を決めていますか? 多くの場合、テレビや雑誌、ウェブで見て、いい印象を持ったところを候補にすると思います。でも、そういうところは人が多いし、ビジネスライクに観光地化されていて、ちょっと物足りないという方も多いのではないでしょうか? そこで今回は、「有名な観光地だけど季節を変えれば穴場」という場所と、そこで仕事をする稀人について紹介したいと思います。
そこは、岩手県八幡平市にある安比(あっぴ)高原。スキーリゾートとして有名なので、名前は知っているという方、冬になら行ったことがあるという方も多いでしょう。僕が取材に行ったのは、2019年9月末。関東以南であれば、晴れた日には汗ばむ陽気が続いている時期ですが、安比高原は思いのほか冷え込んでいて、長袖シャツ一枚では足りず、着替え用に持っていたもう一枚のシャツを重ね着してもまだ寒いほどでした。
秋の安比高原はほとんど観光客もいなくて、とても静か。目の前には広々とした草原が広がって、その場に寝転がりたくなるほど気持ちがいい。そこになにを見に行ったのかというと、初夏から秋にかけての数カ月間、24時間、放牧されている馬です。安比高原で馬? その理由をこれから説明しましょう。
美しい芝の草原を再生する
安比高原では1000年以上前から馬の放牧が行われていて、最盛期には700頭にも及ぶ牛と馬が放たれ、笹やススキなどを食べていたそうです。その頃の安比高原は、日本古来の野芝が広がる美しい草原でした。しかし、時代ともに馬が担っていた作業を動力機械が担うようになり、1985年頃に放牧が途絶えると、あっという間に樹木や雑草が生い茂る荒れ地になってしまったそう。
そこで、1000年前から続いていた美しい芝の草原を取り戻そうと、2012年に結成されたのが、市民団体「安比高原ふるさと倶楽部」。同団体は地元で馬を飼っている人たちの協力を得て、2014年から馬の放牧を始めました。
この取り組みは、競走馬のサラブレッドとは異なる、人間と生活を共にしてきた農耕馬の保護にもつながっています。近代に入り、働く馬としての需要が少なくなるにつれて、絶滅してしまう在来種も出てきました。そのひとつが、岩手県の在来馬、南部馬です。
一度途絶えてしまった種は、もう復活させることはできません。そこで、安比高原ふるさと倶楽部では、安比高原に生えるさまざまな草を食べること自体を馬の仕事にして、在来種を守ろうとしているのです。2019年の放牧は8頭で始まり、僕が取材に訪れた時にいたのは、北海道の道産子(北海道和種)3頭と長野の木曽馬でした。そして、その馬の管理をしているのが阿部文子さんです。
東京出身で、11歳から岩手県の盛岡市に住んでいた阿部さんは、子どもの頃から好奇心旺盛で、26歳から数年間はロンドンに住んでいました。帰国後は盛岡に戻り、もともと好きだったヨーロッパのアンティークを現地で買い付けて、日本の業者や店舗向けに販売する仕事をスタート。
それまで馬とは一切かかわりがなかったのですが、2014年の夏、たまたま馬の産地として有名な遠野に行った時、放牧されて、勢いよく駆けている馬の凛々しい姿を間近に見て、「馬ってすごい! 馬に携わる仕事がしたい」と直感。
遠野で開催された木のシンポジウムに参加した際に、山から切り出した木材を馬で運ぶ昔ながらの「馬搬」をしている関係者と知り合うと、それが縁で翌年にフランスで開かれた馬の祭りで、岩手伝統の「チャグチャグ馬コ」を披露する際のコーディネーターを務めました。その後、岩手県内の牧場で働き始め、しばらくした時に安比高原ふるさと倶楽部から声がかかって、ふたつ返事で快諾。2016年、八幡平市の地域おこし協力隊員に就任して、放牧や馬のイベントに携わるようになりました。
馬は雑草を食べ、排せつ物は土の養分になり、大地を踏み固めて山を強くします。また、馬の放牧と芝生の草原の再生は、地域を潤す観光資源にもなります。その循環に魅せられた阿部さんは、2019年5月、八幡平市で馬と人間の共生、循環型社会を提案する「MATOWA(馬と輪)」を立ち上げました。
僕が訪ねた日、阿部さんは岩手北部森林管理署が主催する、地域の小学生向けの森林学習プログラムを開催していました。阿部さんが「おーい」と呼びかけると、遠くにいた馬たちがパカパカと駆け寄ってきて、その姿を見た子どもたちは大喜びしていました。
現実離れした「桃源郷」
阿部さんは安比高原をはじめとした八幡平市内の山や川など自然豊かな環境を馬と歩く乗馬体験や、森の散策ガイドもしています。馬が放牧されている草原とは反対側に広がる「遊々の森」を一緒に歩いてもらったのですが、そこには「桃源郷」のような景色が拡がっていました。
木漏れ日がまぶしい木立ちを抜けると、見事なブナ林が広がっています。このあたりに生えている樹木は、昭和の初期、木炭や漆器などの資材として皆伐されていました。しかし、水分を多く含み、使いづらいブナは残された。そのブナが種を落とし、数十年たって、立派なブナ林に成長したのです。
ブナ林を抜けると景色が一変し、今度は一面のススキ野。聞こえてくるのは、黄金色のススキを撫でる風の音だけ。視界には人工物が一切なく、絵画のなかに入り込んだよう。
ススキ野を抜けるともう一度ブナの森に入り、30分ほどの散策を終えました。その間、あまりに現実離れした景色の連続で、なんどため息をついたかわかりません。完全に、安比高原といえばスキーというイメージが覆されました。
馬と触れ合える草原と、天国のように美しい森をいっぺんに体験できる稀有な場所、それが安比高原。再訪する時はもう一度秋、もしくは新緑の春に行こうと思います。その時はもちろん、阿部さんに案内してもらいます。
稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。