みなさん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと大胆な行動力を持つ「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけて東奔西走、稀人ハンターの川内です。
暑くもなく、寒くもなく、爽やかで穏やかな春があっという間に過ぎ去り、梅雨、そして夏がやってきましたね。年々、気持ちいい春の時期が短くなっているように感じるのは僕だけでしょうか?
ところで皆さんは、「だんご」と聞いて思い浮かべる季節はありますか? 僕は「花よりだんご」という言葉があるからか、なんとなく春のイメージを持っていたのですが、なんと1年中、行列の絶えないだんご屋さんあるんです。しかも、18年間! ここまでくると、メディアに取り上げられて流行ったというレベルじゃありません。
今回は、その超人気だんご屋さん「最上川千本だんご」を紹介します。
お店の場所は、山形県のほぼ中央に位置する大石田町を流れる最上川沿いにあります。僕が取材に訪れた日も、平日の昼間にもかかわらず行列ができていました。取材後にわかるのですが、この日の売り上げはおよそ3000本で、15時ごろには完売で閉店していました。
最上川千本だんごの創業者、五十嵐智志さんによると、地元ではこのだんごをご飯替わりにする人もいるそうで、「1家族4人で、10本以上買っていく人もいるんですよ」。
ご飯替わりになる理由は、僕でも一度に3本食べるのが限界だったボリュームだけではありません。食品添加物を一切使用していないため、子どもから大人まで安心安全にお腹いっぱい食べることができるのです。
最初は温浴施設で売れ始めた
このだんごを作り始めたのは、五十嵐さんの父母でした。山形県尾花沢市の出身だった父は戦後、隣町の大石田町に移り住みました。その実直な仕事ぶりが認められ、「清水ばあちゃん」から「豆腐屋さんしねか(しない)?」と声をかけられて、1958年、結婚と同じタイミングで「横丁豆腐店」を開きます。その頃の大石田町は今の倍、約1万5000人が住んでいました。
当時、大石田町には3軒の豆腐屋さんがありました。豆腐を作る時、大豆を煮るタイミングで大量の蒸気が出ます。お盆、正月、お花見の時期になると3軒とも、その蒸気を利用してお餅やだんごを作っていました。近隣の人たちが持参するだんご用のうるち米、お餅用のもち米を使って作り、手間賃をもらうという副業です。
そのうち、花見の季節になると自家製のタレをつけて、だんごを販売するようになりました。その頃は地元の人にしか知られていなかったものの、「花よりだんご」で好評だったそうです。
少年時代、「おふくろの団子」を食べて育った五十嵐さんは、大学を出て就職し、仙台に赴任。後を継ぐために帰郷したのは、1988年でした。
1993年、お店のすぐ近くに「あったまりランド深堀」という温浴施設ができました。併設の食事処で豆腐を使ってほしいと頼みに行く時、五十嵐さんは手土産に「おふくろの団子」を持っていきます。すると、施設のスタッフから「まだオープンしたばかりで売店で売るもんないから、このだんごを売ったら?」と提案されました。断る理由もなくだんごを売り始めて、驚きます。
「豆腐は当時、35件ぐらいの小売店さんに毎日卸していて、1日3万円ぐらいの売り上げだったんですよ。でも、だんごはあったまりランドだけで1万円ぐらい売れて。これはすごいなっていうことで、本格的にだんごを作り始めました」
「磯部理念」で作られただんご
その2年後、最も大口顧客だった個人スーパーが破綻し、年間500万円の売り上げが消失。大手スーパーやコンビニが進出してきた影響で地域密着の小売店もどんどんなくなり、一気に経営が傾きました。
豆腐屋をやめるか、続けるか、悩みながら迎えた1999年、転機が訪れる。ある先輩からの紹介でビジネスセミナーに出席したのをきっかけに、山形県内で食品を製造する中小企業が集う勉強会、「山形さらど事業協同組合」(現在はさらど塾として活動)に参加するようになりました。
その勉強会の核となるのが、「磯部理念」。これは、『食品を見わける』『食品づくりへの直言』などの著書がある食品と貿易のコンサルタント、磯部晶策氏が唱えたもので、食品づくりの4条件、4原則からなります。
4条件とは安心して食べられること、ごまかしのないこと、味のよいこと、品質に応じた買いやすい価格。4原則とは原材料の厳選、加工段階での純正、時代環境に曲げられない一徹な姿勢、消費者との関係の重視。
この4条件、4原則を守ったうえで商品開発を行っているのがこの組合で、五十嵐さんは毎月の勉強会に欠かさず参加するようになりました。それが縁で2003年3月、山形市にあった百貨店・大沼で開かれる大石田町の物産フェアで豆腐とだんごを売ることになりました。
磯部理念の4条件、4原則を守る五十嵐さんのだんごは、市販のだんごとは素材が異なります。だんごや餅の柔らかさを持続させるために一般的に使用されている添加物を使っていません。その分、大石田町で収穫されたうるち米「はえぬき」の本来の味を出すことができるのですが、デメリットもあります。あんこやみたらしなど甘い素材と合わせると、糖分に水分が吸収されてだんごが徐々に硬くなってしまうのです。
それだけではなく、地元で採れるえだまめ「秘伝」を使うずんだんは日に当たると緑から黄色に変色すること、あんこは保水剤を使っていないため、時間が経つと緩んでくること、ごまだんごはだんだん油分が分離してくることなど、添加物を使用しないことによって「普通のだんごより日持ちしない」という特徴がありました。
フェア当日、「無名の豆腐屋のだんごなんて、たいして売れないだろう」と思いながらも、五十嵐さんは売り場で「明日には固くなる団子、1本からお作りします!」と声を張り上げました。すると初日に持っていった300本が売り切れ、翌日に用意した400本、翌々日に用意した500本が毎日のように完売。そして最終日の6日目、1000本が売り切れました。
これに手応えを得た五十嵐さんは、同年、横丁豆腐店の隣りにあった車庫を改装して、だんご屋を開きました。そして磯部晶策氏に「名前を付けてください」とお願いしました。快諾した磯部氏がつけたのが、「最上川千本だんご」です。
最高記録は1日8000本
車庫を改装したお店を開いた2000年、暮らしの手帖が発行するムック本『誠実な食品』に掲載されたのも、大きな追い風になりました。これを機にテレビや雑誌に取り上げられるようになり、駐車場のない「隠れ家的なお店」にだんごを求めるお客さんが溢れ、道路に車が列を作るようになります。
自信を深めた五十嵐さんは2005年、大きな決断をしました。通りを挟んで横丁豆腐店の向かい側にあった蔵を買い取り、飲食スペースを兼ねた広いお店を開いたのです。
それから18年、最上川千本だんごは一度も客足が途切れることなく、繁盛しています。リピーターに飽きられないように新商品の開発にも熱心で、店頭に並ぶだんごの種類は年間35種類に及びます。和菓子屋さんが季節に合わせたお菓子を作るのを参考にして、夏場はレモンのだんご、秋はサツマイモや栗のだんごなどを出してきました。
このような地道な取り組みが支持されているのでしょう。これまでの最高記録を聞いて、仰天しました。なんと、1日8000本! 最近でも、テレビで放映された翌日にはとんでもない行列ができて、5000本から6000本売れたと言います。平日でも平均2000本売れるというから、その人気は本物です。
タピオカのように急に流行ってスッと消えていくものが多い現代、2005年に今の場所に店を開いてから18年間、だんごが売れ続ける理由はなんだと思いますか? と尋ねると、五十嵐さんは三日月のように目を細めました。
「ほかの勉強会で微差は大差だと教えてもらって、どこにでもある団子、どこにでもあるお豆腐と違ったものを作れると学べたこと、それをお客様に説明することの積み重ねですね。対面販売の大切さも実感しました。自分で作ったものは自分で売る。そうすれば、自分で値段もつけられるし、お客様と直接コミュニケーションを取れる。甘いとか、しょっぱいとか、聞けるじゃないですか。それは大きかったですね」
取材時は定番のだんごを6本買って2度にわけて食べたけど、どれも個人的に「これまで食べただんごのなかでナンバーワンで賞」を授与したくなるレベルだった。ほかにも魅力的なだんごがたくさんあって、ぜんぶ食べたくなる。それもまた、お客さんが絶えない理由かもしれない。
稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。
ACCESS
最上川千本だんご
山形県北村山郡大石田町大字大石田乙76
TEL 0237-35-2312
https://www.ic-net.or.jp/home/tofu83/