こんにちは。フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。
すっかり日常になったマスク生活ですが、まさかこんなにも長い付き合いになろうとはと、暑くなってきたのも影響しその存在を意識せざるを得ない毎日です。
ここ数ヶ月、とある企業のブランディング計画に外部スタッフの一人として関わっています。社内の精鋭が集められワークショップを重ねていくその過程を撮影しているのですが、気付いたことがあります。
人が集うのでアクリル板を立てもちろんマスク着用での開催です。この現場がスタートする前は、顔半分が隠れた状態の参加者を撮って、果たしてワークショップの熱が感じられる写真になるものだろうかと懸念していました。ところが蓋を開けてびっくり。そんな懸念は杞憂でした。
口元が隠れたままでは伝えきれないと本能的に感じるからなのでしょうか。参加者のみなさん、眼差しや身振り手振りを駆使して全身で話し伝えていらっしゃる。
とりわけ目というのは偉大な表現器官なのだなと感じ入る瞬間が多々あります。「目の色が変わる」「目は口ほどに物を言う」という表現があるのもさもありなん。まさにそれを目の当たりにすることの連続で、必死に伝えようとしているときの眼差し、相手の言葉を食い入るように聞いているときの眼差し、さまざまな目の表情が矢継ぎ早に現れて、おかげで臨場感のある写真が生まれています。
そういうことに気付いたせいもあって改めて意識してみると、この現場以外でもそうした傾向は見られるし、何より私自身の手振り身振りが大きくなっているような気がします。
緊急事態宣言があって人と接することを極力避けましょうということになり、一人暮らしなうえに会社勤務をしていない私は、淡々と過ごす静かな日々をそれなりに楽しみながらも、誰かと逢って話したい衝動がたびたび起こりました。
マスク生活で口元を遮られる日々の中で、表現手法の拡張が自然に起きているのだとしたら、それは面と向かって話すことの悦びや、話したい伝えたい、コミュニケーションを図りたいと強く願う気持ちがもたらした作用だと思うのです。いずれマスクを外せる生活が戻ってきてもこの傾向は続いて欲しいなと思っています。言葉自体に頼りすぎない、気持ちの乗ったやりとりが展開されるのではないでしょうか、ヨーロッパの街角の立ち話のような・・・(あくまでイメージです)。
マスク生活の中で気付いたこと・・・至極個人的な・・・がもう一つあります。
顔半分が隠れていることだしと、生来の面倒くさがりも手伝って、撮影のない日はメイクをしないどころかスキンケアもろくにせずにほうぼうに外出しておりました。ある日マスクなしの顔を鏡でじっくり見て驚愕、シミが確実に増殖しているではないですか。
コロナ禍で1年半会えていない70代後半を迎えた母は、子どもの頃からのそばかすが鼻の横にちょこっとあるものの、それ以外シミひとつ見当たらないきめの細かいきれいな肌をしています。そんな母のスキンケアはお風呂上がりに念入りに化粧水をたたき込み乳液を塗るのみで、もう何十年も同じメーカーの同じ商品を使い続けています。母の基本中の基本なスキンケア習慣を見てきたので、基本すら怠って油断しまくっている自分の顔にシミが増殖するのも致し方ないと納得せざるを得ません。
ふだんパソコン上でPhotoshopというソフトを使い、人物写真のシミ消しなどをおこなうことがあります。手軽にきれいに消せるのですが、現実の世界にはPhotoshopはないわけで、この増殖したシミたちをどうしてくれようかと、マスクなし生活に早く戻って欲しいと願う一方で複雑な気持ちをもよおしております。
周辺調査をしてみたところ、どこそこのレーザー治療が効くよという情報がいくつか集まり、案外みんなお手軽にレーザー治療を受けているのだなと知ることとなりました。マスク生活のうちに一度試してみようと思っています。と同時に、誰か現実の世界のPhotoshopを開発してくれ!これができたらノーベル賞級だ!と心の中で叫んでいます。
(暑中お見舞い申し上げます、ということで今回の写真は本文と全く関係のない私の故郷の海の写真です)