こんにちは。フォトグラファーの武藤奈緒美こと、むーちょです。
つい先日商店街を歩いていたところ目の前でツバメが低空飛行し、幾分時期が早い気がして「えっ!?」と思わず二度見しました。ツバメに限らず今年はさまざまな春のしるしが例年よりも前倒しで見られている気がします。気象庁などのデータできちんと確認したわけではなくあくまで体感に過ぎないのですが、これも地球温暖化の影響なのでしょうか。ただ、朝晩はこの時期らしくちゃんと気温が下がっているので多少なりとも安堵はするのですが、個人ででき得る対策は積極的にしていかないとという気持ちになります。
「了解関係」の発見
大学を出てからずっと商店街をツバメが飛び交うこの街で暮らしています。春先は近所の塀を盛大に飾るジャスミンが濃厚に香り、家のドアを開けるとどこで咲いているのか八重桜の花びらが落ちている。ツバメが巣作りする店の軒先はどことどこだとか、この時期だけ出回る紅花を仕入れている花屋がどこだとか、こどもの日界隈に味噌餡の柏餅を出している和菓子屋はどこだとか。そんなちょっとした出来事がおのずと記憶され、この街の春の移ろいを眺めていつの間にか24年も経っていました。
ひとところに長く住んでいると街の人の顔もわかってきます。商店街ですれ違うあの人は不動産屋のお父さん、あの人は中華食堂のおかみさん。鞄屋が代替わりして息子さんが店に立つようになった。鰻屋の主人は体型変わらず細身だけれど銀髪がお似合いになっている。名前は存じ上げないけれど顔は見知っていて、その中の何人かとは挨拶を交わすくらいの知り合いです。これをわたしは「了解関係」と呼んでいます。お互いにこの街のこのあたりに住んでいることだけはわかっている、顔を認識しているという程度の関係です。
2010年の秋、取材でたびたび墨田区を訪れていました。東京スカイツリーの完成を1年半後に控え近辺の街歩きの本を制作することになり、そのチームのフォトグラファーとして動いている最中でした。そのうち取材先のひとつだったカフェに週に一度くらいのペースで通うようになり、写真展を開催させてもらい、街や人との距離が少しずつ近くなって、カフェの近所の古くて広い格安物件を勧められ、この街に住むのもいいかもと引っ越す気が高まりかけた矢先に東日本大震災が発生。我が家は食器が数個割れたくらいの被害とも言えないような程度で済みましたが、茨城県の実家はライフラインが止まり気が気でない日々を送りました。
震災からどれくらいの時期だったか今では失念しましたが、ある日商店街を歩いていて顔だけは存じ上げている方とすれ違いざま目が合って、どちらからともなく自然と「大丈夫でしたか?」と言葉を交わしたことがありました。このとき、「了解関係」という言葉がふっとよぎったのです。あの人はわたしがこの街のこの界隈の住民だと見知っている。わたしもあの人がそうだと見知っている。そのことがとても大切なことに思えたのです。引っ越そうかと考えていたのがきれいさっぱりなくなりました。長年住むうちにいつの間にか育まれていたこの「了解関係」を、これという事情もないのに引っ越して手放すのはあまりにももったいない。そう思って10年が経ちました。ですが、新型コロナウィルスの影響でマスクをする日々は「了解関係」がどうにも発揮されにくい状況です。
住まいのこと
長年住んでいるアパートは築年数がわたしより6つ年上で、木造の集合住宅としてはそこそこ古い方だと思います。大家さんのご自宅と棟続きで、わたしの住まいは大家さんのすぐ隣にあたります。庭が繋がっているので、近くに暮らす娘さんが毎日高齢の大家さんの様子を見にいらっしゃっているのが声でわかります。お向かいの子どもが大泣きしているとか、朝はアパートの前の通りから通勤の靴音が聞こえるとか、時々隣のアパートから気分良く歌う声がするとか、わたしはこんなふうに近隣の音が聞こえてくるのがいやじゃない、むしろ歓迎しています。それは、向こうの音が聞こえるということは何かあったときにこちらからの音も聞こえるはずと考えているからです。
(網戸越しの庭の風景)
子どもの頃・・・4歳とか5歳の頃だったか・・・昼寝から目覚めると居るはずの母がいないということがありました。当時どういうわけか母親が突然いなくなってしまったらどうしようという不安にいつも駆られていて(おそらく何かの物語に影響されたのだと思います)、「お母さん?」と呼んで返事がなかったものですから、家の縁側に出て「おかあさーん!!!」と近隣中に聞こえる大声で泣きながら叫んだのを憶えています。その都度その声を聞きつけて、近所で立ち話をしていた母が「何泣いてるのー」と笑いながら戻ってきたり、隣のおばさんが「奈緒美ちゃん、お母さん〇〇(近所の商店)に買い物に行ってるよ」と知らせに来てくれたりしました。
近隣の音が聞こえることに安心を憶えるのは、おそらくこの記憶が由来だと思っています。叫べばおそらくなんとかなる、誰かは来てくれるだろう。そんな気持ちがあります。古い住まいならではのセイフティネットとでも言えるでしょうか。機能するかどうかは幸いなことにこれまで機会がなかったのでわかりませんが。
この安心感の根本にあるのもおそらく「了解関係」です。近所を見てなんとなく知っておく。なんとなく、くらいなのが負担にも干渉にもならなくてちょうどいい。「お腹空いたー!」って叫んだらそちこちからおかずが集まってこないかしらなんて空想をしております。
(「お腹空いた!」と網戸を引っかき知らせてくる地域猫。彼女とも了解関係が成立)