こんにちは。フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。
2月下旬、旅媒体の取材で東京・青梅に出かけてきました。
ちょうど梅の開花時期。個人の庭から街道沿いまでそちこちで梅がほころび、花の向こうは青空で、絶好の花見日和・・・もとい、取材日和でした。
街道沿いの街路樹として梅が植わっているのを見たのは初めてです。低木の印象があったのですが、街路樹の梅はずいぶんと高いところで咲いていました。花の名前に疎すぎてそれが梅である以上のことはわからず・・・。
歩いてみると、ここが古い街であることが窺えます。
靖国通りに接続する形で新宿から始まる青梅街道が、道幅を狭めこの街に通じていて、さらに終着地・甲府まで続いていることになんだか感動を覚えます。街道が交通の中心だった時代にはここを人が行き交い牛馬が行き交い物が行き来していた。青梅はかつて織物の産地で、中でも夜具地の生産が盛んで、この道を通って甲府へと運ばれていたことでしょう。また甲府は絹織物の産地なので、きっとこの道を通じ青梅にもたらされたことでしょう。こうしたことを想像して楽しむのは旅仕事の醍醐味です。
私が生まれた茨城にも梅の名所があります。水戸の偕楽園で、水戸藩九代藩主・徳川斉昭による造園です。梅まつりが開催される2月半ばになると、偕楽園臨時駅が開設されアクセスがしやすくなります。私も何度か訪れたことがあり、「臥竜梅」にかぎって名前を覚えられたのはおそらく、同じ名前を持つ日本酒を飲んだことがあり、それがまた美味しかった記憶ゆえだろうと思います。
殊更梅に思い入れがあったわけではないのに、きものを着るようになって早や15年、手持ちのきものや帯に梅柄の入ったものが目立ちます。梅柄だと、春の到来を待ち望む気持ちをこめて、新年から梅が咲き出す前あたりが着用するのにいいタイミングかと思いますが、「松竹梅」と並び称されるめでたい花でもあるのでお祝いの席にも向いていますし、家紋になったり紋様化していたりするので、季節感を気にせずに身につけてもさほど違和感がないだろうと思っています。着物がきっかけでモチーフとしての梅をたくさん見かけるようになり、すっかり好きになっていました。
青梅取材に話を戻します。
旅仕事で街歩きをしていると、その街に暮らしてみたくなることがよくあります。歩くことで親しみが湧いてきて、いつの間にかそこに暮らす自分を想像し出しています。青梅もそうでした。こういうとき仕事の便の良し悪しはほとんど考えないから不思議なもの。
今回は青梅藍の取材で、訪問先のひとつ、青梅で染めた藍地の暖簾をかけている居酒屋の店内を見て大興奮。客席がこたつなのです。
私の実家の暖房の要は今も昔もこたつで、東京での住まいの暖房もやはりこたつです。私にとってこたつは離れがたい愛おしい存在で、その居酒屋のこたつを見た瞬間、酔っぱらったと言っては横になってうたた寝する、想像の中の青梅に暮らす自分が見えました。
今回の取材先には入っていなかったのですが、武蔵御嶽神社は以前から気になっている場所です。この神社所蔵の国宝「赤糸威鎧(あかいとおどしのよろい)」は平安末期のもので、以前五月人形の甲冑を作っている職人さんを取材したときに、造形的に美しい鎧は平安末期あたりまでで、その時代のものを参考にして制作していますと教えてくれたのがこの国宝の鎧でした。
想像の中の青梅に暮らす自分の初詣先はここに決定です。
これから先、自分がどこでどう暮らしていくようになるのか皆目見当もつきません。ずっとそう思ってきましたが、今住んでいる街はこの春で25年目、なんと四半世紀も経っている。それでもここに骨を埋めるだろうなどとは思えなくて、それは賃貸ゆえかもしれませんが、長く住んでも仮の住まいという気持ちがあります。
そもそも現世自体が「仮の宿り」だと鴨長明は「方丈記」で言っていますしね。