フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。
年の瀬の足音が聴こえる時期となりました。
こ、今年も早かった…と一年を振り返る前に、先の投稿で触れた文学フリマ東京(以下、文フリ。文学作品展示即売会)のレポートをお届けします。
この連載でたびたび書いていますが、私は2021年5月から今年の8月まで月に一度、「木ノ下裕一と読む『平家物語』」というオンライン講座を受けておりました。
講義3時間と課題の講評2時間の計5時間、「平家物語」を朗読し解釈し、毎回出される課題に自分なりの表現手段で取り組むという内容でした。
この夏、課題の集大成・卒業制作を提出すると、講師方から「文フリに出品しよう!」という提案があり、わたしたち受講生はやろうやろうと沸き立ち、データで提出した卒業制作をそれぞれが本や冊子などの形にし、それを携え文フリに乗り込むこととなったのです。
11/20、12時開場。受講生の面々は第一会場のブースNo.O-4に集い、お互いの顔を確認して即、「三次元だ!」と言い合って笑いました。これまではずっとパソコンの画面上の人だったから、リアルで会えたことがほんとうに嬉しく、もうわかっているけどと言いつつも自己紹介をし合いました。
店番は交代制で、せっかく参加しているのだからと空いた時間に2ヶ所にまたがる会場をじっくり見てまわりました。
表現したいひとと表現されたものたちが一同に介した風景は圧巻!のひとこと。
なんでもかんでもデジタル化している今日に、紙の上で表現したいひと、それを欲しいと望むひとがこんなにもこんなにも集うとは。
過去最高の来場者のせいだけとは思えない、そこには制作への熱、作ったものを手に取って欲しいという願い、自分のアンテナに引っかかる作品を懸命に探す集中力・・・混ぜこぜの熱気に包まれて、足元がふわふわする心地でした。
ブースを出している側にも来場している側にも若い人が目立ちました。
自分がちょいちょい足を運ぶ寄席や劇場ではあまりお目にかかれない、いろいろな若い人が。
生まれたときから携帯電話が普及していたデジタル・ネイティブの彼らが、デジタルでなく紙物祭りとも呼べそうなこのイベントにわらわらと集っている。
紙の上での表現を求めて集っている。
今回、自分の卒業制作を冊子という形に落とし込む際に、紙のサイズや色、質感、印刷の出具合、ページ数など、主に視覚や触覚に影響する部分を熟考しました。データではなく形にする、紙に落とし込むということで、意識するべきことが一気に増えます。簡便なものにしたい、できれば写真を眺めながら引用している原文を声に出して読んで欲しい・・・そんなイメージを持っていたので、そうしやすいような体裁を考える必要がありました。
ここに集った人たちは、紙による表現を個人差はあるにせよ楽しむ人たちなのだな、手触りという感覚を共有しているのだなと思うとやたら嬉しくなりました。きっと若い人はデジタルとアナログをいいとこどりするのなんて朝飯前で、これはデジタルでいい、これは紙がいい、とスマートにその都度チョイスできちゃうんじゃないか。たとえそうであっても同じくこの場に居る以上、老いも若きも男も女も、大きな意味で「同類」なのです。
私が店番をしているとき、ひとりの青年が興味深げにブースに立ち寄りました。
「『平家物語』にご興味があるのですか?」と尋ねると、「古川日出男さんが現代語訳した『平家物語』を読んで興味を持って」との返事。「私も読みました!じゃあ『犬王』も読みました?」と前のめりになって尋ね返すと、「『犬王』は映画で。アニメの『平家物語』も見ました。大河ドラマ(『鎌倉殿の十三人』)は全然見られてないんですけどね」と。アニメ、めちゃめちゃよかったですよねえぇー!と私は強く同調し、お客さんと「平家物語」のことで会話が成り立つのが楽しく、加えてその人が細身の眼鏡男子という好みなビジュアルで、さらに殊更勧めたわけでもないのになんと私の作品をお買い上げいただき、「今この瞬間がまさに今日のハイライト!」と内心ひとり大浮かれしたのでした。
・・・というわけで、ジャーン!「平家物語 木曾最期」、こんなふうにできました!100部作り、たとえ全て売り切っても赤字確定・・・。これぞ道楽!