こんにちは。フォトグラファーの武藤奈緒美こと、むーちょです。
写真の納品が立て込んでおり、スタジオに泊まり込んで早朝から作業する日が続いています。
今朝は4時に目が覚めました。4時半を過ぎたあたりから朝が来る気配が濃くなり、室内の物たちの輪郭があらわになり始め、5時半ともなると向かいのマンションに朝日があたって、加速するように朝が訪れました。白い壁白い床のスタジオに満ちた光で新たな一日の始まりを実感します。
どんなに作業が立て込んでいても、たとえ前の日がイマイチだったとしても、この朝の光に遭遇するたびにこの場所とここに集う光を愛でる気持ちがひたひたと心の中に広がって、この光を手放したくない、だから懸命に仕事して店子であり続けるのだ!とやる気が湧いてくる。どんな光がそばにあるかということは自然光で撮影するのを好むわたしにとっては重要事項で、この愛しい光環境を維持するために仕事しているんじゃないかと思うこともしばしばです。
2019年の2月にこのスタジオで写真展を開催しました。タイトルは「朝を見た。」。2017年11月末にアイスランドを訪れた際、移動中のバスから撮った朝の風景写真5点を駅貼りポスターサイズに大きく伸ばし、壁に横並びで展示しました。
開場は朝の6時半。2月の6時半っていったらようやく朝の兆しが感じられる頃合いです。アイスランドの冬の朝の風景を東京の冬の朝の光の中で見てみたいという、唐突に思いついた趣向です。6時半オープンという酔狂とも言える試みを面白がって来場してくださった方が想像以上にたくさんいらして、朝の光の中にアイスランドの朝の風景が見えてくるのを静かに待つ、というひとときをたくさんの人と共有できたこと、これは忘れ難い体験です。
写真サイズが大きいせいで写真そのものが車窓のように思え擬似体験できたという感想をいただけたのは、想定以上のことさらに嬉しい出来事でした。
アイスランドは初めて訪れた高緯度の国で、11月下旬だと日の出が10時過ぎ、16時には日没を迎えるという驚きの日照時間の短さでした。緯度が高いということはそういうことだと知識としてはわかっていたけれど、実際にこうした時間の感覚が冬の日常になっている場所があるんだと身を以て知ることは、これまで漠然と持っていた冬の朝のイメージを思いきりひっくり返すものがありました。
写真を撮ったのは近場の観光スポットをめぐるバスツアーに参加した日の朝でした。集合時間の8時はまだ夜の中、移動するうちに次第に風景から夜が消え、代わりに銀世界の上にブルーをかけた世界が広がり、そこにサーチライトで照らすかのように低い角度からオレンジ色の朝日が差し込み始めました。バスはその光と並行して走っていきます。
視界にぽつんと建つ赤い家が見えてきて、じわじわと温めるように柔らかい光がその家を包んでいます。ブルーがかった世界にオレンジの光の帯、赤い家・・・ほかの要素が入る余地がないほど視覚的に簡潔に朝の訪れを表している光景、長い夜の果てにやってきた朝です。自然と、ああ朝が来るってこんなにも尊くありがたいものなのだと思い、ただただ見つめシャッターを切りました。
わたしの実家では、年越しに神社に詣でその足で初日の出を見に行くというような習慣はありません。旅の仕事で日の出を撮ったことは数回ありますが、前日に日の出の時間を調べスタンバイして、日が出た撮ったハイ撤収という慌ただしいものでした。アイスランドでの、目の前に朝が訪れそれが移り変わってゆくのをひたすら見つめる体験は初めてです。まるで「朝」という映画が目の前で上映されているかのような、あるいは、自分が「朝」というロードムービーを撮っているかのような時間でした。移動中のバスから見ていたからなおさらそう感じたのかもしれません。
緯度の高くない国に暮らすわたしにはレア中のレアな体験でしたが、アイスランドに暮らす人たちにとってそれは冬の日常の光景で、ところ変われば何が「日常」で「ふつう」かの意味合いが変わってくるわけです。わたしが感激した朝の訪れ、それを撮った写真も、かの地に暮らす人にとってはなんてことない風景写真なのかもしれない。何をそんなにありがたがっているのと思うのかもしれない。そのギャップを面白いことだなと感じます。